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皮膚は神経系と密接につながっているので、情緒にとても敏感で
ある。だから心の意識的な部分によりも、奥底にある欲求や願望、
恐怖に触れることができるのである。あなたは明日の会議のことを
あまり気にしていないつもりかもしれないが、皮膚に表れた蕁麻疹
やニキビが緊張を表している。
しつこい皮膚症状は、しばしば内側からのメッセージである。そ
れは助けを求めているのだ。このメッセージを判読するのは、ただ
人の言葉に耳を傾けると言うよりは、いかにして人間の身体言語を
解釈するかを学ぶようなものである。あなたの皮膚は、何を言おう
としているのだろうか?
生体は何よりも生きていくために、複雑な心と体によって作られ
ており、皮膚もその一部なのである。そして全ての生体にとって、
生きているということは、基本的な欲求を満たすことを意味してい
る。あなたは皮膚の症状に煩わされ、苦しい思いをするかもしれな
い。しかしそれによって成長に必要なものを、生物的・情緒的に手
に入れようとしているのである。
情緒的欲求が生物的欲求のすぐ次に位置しているのは不可解に聞
こえる(つまり愛情を水や食料と対比すれば)が、それはほとんど
交渉の余地がないし、どこで一方が終わって一方が始まるのかを指
摘するのは困難である。有名な研究でフランスの精神分析学者ルネ・
スピッツは、ある孤児院で乳児を観察した。見たところ、彼らの生
物的欲求は全て満たされていた。食事を与えられ、衣服を着せられ
て、暖かくしていた。しかし彼らは愛情を全く受け取っていなかっ
たのだ。幸運にも愛情深い家族のもとに生まれた乳児のように、抱
き上げられたり愛撫されたりすることがほとんどなかった。
スピッツが観察した赤ん坊の多くが、正常に成長することができ
なかった。生きていくために必要な愛情という栄養分なしでは、身
体が萎縮したり、死んでしまう例もあった。他の研究でも、健康な
発育には愛情と抱擁が必要なことを立証している。その一つに、施
設に収容された赤ん坊は他の赤ん坊よりずっと湿疹になりやすいの
である。
私たちの欲求は、全面的に依存する生後一年間が最も劇的に見え
るけれども、生涯にわたって持続するのだ。ちょうど食物、水、お
よび暖かさへの欲求から決して卒業しないように、私たちは三種類
の情緒的な滋養である愛情、尊重、保護を常に必要としている。
愛情は情緒的には食物にも相当しており、生命を支えている世界
からの、人を育む贈り物である。私たちは尊重も必要としている。
愛情や食物、そして休養は私たちが求めて与えられるもので、気ま
ぐれに、あるいは一律に与えられるものではない。私たち大人は家
族や友人達から尊重されて、初めて自分が人々から認められた独立
した人間であることを確信するのである。
私達が成長して行くためには、極端な熱さや寒さから保護される
必要があるのと同様に、情緒的な激しい行き過ぎからも保護される
ことを必要としている。私たちはそのうち快適に暖かく、または涼
しく過ごすことを学ぶのと同様に、情緒的な重荷からも自らを保護
することを学ぶのだ。
不完全な世の中にあって、私たちの内面で欲しいものと、外界か
ら得るものの葛藤はしばしばある。その境界―皮膚―において、こ
の葛藤が実演されるのだ。満たされなかった欲求は、精神エネルギ
ー保存の法則に従う。生後6ヶ月で愛情たっぷりに育てられること
を望み、40歳で大人として認められたいと望んだとして、そしても
しそれが満たされなければその欲求はそう簡単には消えないのであ
る。私たちはあれやこれやと、欲しいものを得るために何度も試みる。
それでも手に入れられなければ、最後はなりふりかまわずに身体的
な症状で訴えるのである。
例えば赤ん坊が愛情に飢えていれば、も
っと泣くだろう。もしそれが役に立たなければ、かんしゃくを起こ
して無気力になり、最終的には乳児湿疹を出すだろう。情緒的な圧
迫と欲求不満の痛みは、弱い所が壊れるまで、赤ん坊の幼い身体を
引っ張る。湿疹によって、身体全体が皮膚を通じて泣くのである。
健康だった人々が晩年になって皮膚が荒れる場合があるが、その
場合でさえも、強い欲求が満たされなかった過去に心理的な起源が
あるのかもしれない。実のところ、そのような病気の起源は出生前
までさかのぼることもあるのだ。アレルギーや湿疹を持って生まれ
た乳児は、遺伝性のリスクを負っているか、または出生前に異常な
ストレスにさらされていた可能性がある。
荒れた皮膚は聡明な使用人よりは忠実な家臣に似ており、命じら
れたことを遂行するまでは、辞めようとしないのだ。その一連の作
用が働いてしまうと、ほんの少しでさえも止めるのは至難の業であ
る。たとえば私の患者のひとりは、子ども時代に心のこもった養育
を切望していのに、与えられないまま大人になった。彼女の全存在
が切望した心安まる配慮を手に入れるために、皮膚がむけて炎症を
起こして、それは高い代償となってしまった。もはや正常な生活は
不可能であった。
あなたが皮膚の言い分を聴くまで、そのメッセージ―奥底にある
欲求の声―を、皮膚は何度もくり返すだろう。医薬品や禁欲的な無
関心によって黙らせようとすれば、もっとうるさく泣きわめくだけ
だろう。選択肢は、内なる自分に皮膚が求めているものを与えるか、
あるいはそれが不可能なら欲求不満の痛みに正面から向き合って、
その解決にすぐに取り組むことである。とても難しいことかもしれ
ないが、あなたはその第一歩を今すぐに踏み出せるのである。
それは皮膚の荒れに対する見方を変えることだ。ずっとくっつい
ていた医学的なレッテルをはがして―「帯状疱疹」であれ「蕁麻疹」
であれ、何であれ忘れてしまって―あなたの病気をより深い欲求の
症状としてとらえるのだ。症状の見た目や触れた感じ、痛みを身体
的な性質のままにしていると、情緒的な要因を分かり難くしてしま
うので、気をつけるべきだろう。この水準で考えると、あなたの帯
状疱疹は同病者のケースとよりも、近所の人の蕁麻疹との方に共通
点が多くあるかもしれない。
あなたの皮膚の下にある問題を扱う第一歩は、心理学的な用語に
ラベルを貼り直すことである。私は荒れている皮膚があなたに何を
しようとしているのか、聞いてみるのが最も有益だと思う。根本的
な欲求である愛情、尊重、保護を満足させようとしているのだろう
か? 皮膚を情緒的な重荷から開放するにあたって、あなたは皮膚
が骨を折っている任務を確認し、理解しなくてはならない。以下の
11の任務は、最も一般的なものである。
1.皮膚は愛情と保護を求めて叫んでいる
基本的な情緒的欲求を満たすことは大変重要であり、私たちはそ
れを成し遂げるために生物学的メカニズムで作られていると言って
もよいくらいである。私たちが赤ん坊に微笑んで抱擁したくなる、
生まれつきの何かがあるのだ。ほとんどの両親が子どもを養い守る
ために最善を尽くすのであるが、人間は不完全な存在であるし、こ
の世の生活は難しいものである。
子どもに愛情を与える能力のない母親も、見方を変えれば下手な
しつけの犠牲者であるかもしれない。生活の中での大きな変化(お
そらくは家族の死や、家族から見捨てられること)によって、人は
赤ん坊に適度な愛情と保護を与えることができなくなる。貧しくて
食べていくのも大変で、適切な保育ができなくなってしまうことも
少なくない。
このような早期の欲求が満たされないと、心の中に空虚感が残る。
その空虚感は貪欲で、実際に、情緒のブラックホールと言っても良
いほどである。全ての愛情、尊重および保護を吸収し、飽くことな
くそれを求め続けるのだ。
私たちは、自己授乳や自己保育と言う見当違いの試みで、この空
虚感を満たそうとし続ける。意気消沈している時には、新しい服を
自分に買ってあげる。コマーシャルが愛をもたらすと言っている、
「申し分のない」車やシャンプーを買うのである。アルコール依存
症者と薬物嗜癖者は、運命的で破壊的な自己授乳の企てて、ぬかる
みにはまっている。彼らは愛情、保護、および尊重の、化学的な幻
覚を必要としている。なぜなら本物をずっと前に剥奪されてしまい、
いまだに苦しんでいるからである。
《ジョアン》
ジョアンの父親が家族を捨てて出て行ったとき、彼女はまだ赤ん
坊だった。母親は気持がくじけてしまい、満足な愛情と養育をほと
んど与えることができなかった。何も言えない赤ん坊のジョアンは、
その欲求を皮膚症状に表した。ひどい乳児湿疹が、ジョアンの代わ
りに苦痛と淋しさを叫んでいたのである。
ジョアンは大人になり結婚し母親になったが、彼女の皮膚は幼い
頃に受けられなかった愛情と配慮を求めて叫び続け、ずっと彼女を
悩ませていた。皮膚は時々、入院が必要になるくらいにかん高く泣
いた。ジョアンにとって入院は、子ども時代に戻ることを意味して
いた。日常生活の要求と責任から免除され、看護婦達が母親のよう
に彼女を入浴させて傷ついた皮膚を慰めてくれた。まれに家で治療
を受けることで、ジョアンはステロイド・クリームと特殊な入浴剤
を使って皮膚を自己保育できるようになった。
意味深いことに、彼女の湿疹は例えば夫の短い出張など一時的に
見捨てられた気持ちになるような時に――それは人生で最初の男性
に見捨てられたという痛烈な損失の再演を意味する――急に症状が
ひどくなった。
ジョアンは私と共に取組み続けて、短期間ではあるがかなり劇的
な改善を見ることができるようになった。しかし彼女の治療は中断
した。私は休暇を取って出かけた――彼女にとってそれは、父親に
見捨てられた時の再演になった――そして彼女は逃げ出してしまっ
た。
2.皮膚は激怒している
怒りは根本的な情緒的欲求が満たされない時に、私たちがしばし
ば感じる反応である。私はカップルのけんかで、仲たがいの背景に
なっている怒りの85パーセントは次のことを意味しているのを見い
だした。それは「あなたは私を愛していない」、「私を守って」、
または「私を人として尊重して欲しい」ということである。
怒りは正常で健康な反応であるが、私たちの多くはそれを否認す
るように教えられている。怒りは良くない。だからもし私たちが怒
りを表に出したり、もしくは感じるだけでも、それは良くないこと
なのだ。親は子どもへの切り札を何枚も持っていて、当たり前のよ
うに使う。「怒っているんだったら、お前のことなんか知らないよ」
と言うわけである。
このような親から子どもへのごちゃまぜのメッセージが混乱を招
くのだが、それはまれなことではない。極端な例では、親が怒りを
否認するように脅しながら子どもを叩いて、子どもをもっと怒らせ
るようにする。子どもはまた、親の怒りの発作で大いにうんざりさ
せられるので、自分自身にそのような感情があっても、少しも自分
のものとは認めなくなるだろう。
私たちは怒りを感じたり、それをできるだけ直接表現するかわり
に(彼の鼻を殴らなくとも、不公平な上司に激怒していれば気がつ
かれる)しばしば抑圧するか、またはそれを内側に向ける。自殺お
よび断片的な自殺――アルコール症や事故を起こしやすい傾向、生
きがいになる楽しみを放棄するなどのような自己破壊的な行動――
は、怒りの方向を自分に向けたものである。怒りは抑うつの一般的
な構成要素である。
「受動‐攻撃的」な人とは、自分は怒りを全然感じないで他人の
怒りをかき立てる、洗練された能力を発達させているものだ。その
ような人は、怒りを発散したい気持をかんかんに怒らせるような挑
発的な行動によって満足させる。この空振りはどんなかんしゃくよ
りも効果的であるばかりではなく、相手は彼のせいで怒りを感じて
いると思いこんでしまう。
感じられることも表現されることもなかった怒りこそが、荒れた
皮膚の下にあるもっとも一般的な心理的メカニズムである。他人に
怒りを感じるのは危険であったり許されなかったりするので、皮膚
がむち打たれるように選ばれる――さもなくば、怒りは自分自身に
向けられるのだ。
代わりに皮膚は、大人の中の子どもが表すのを禁じられた怒りの
声になるのである。赤く怒った皮診は、持ち主ができないことを世
間に示している。「私がどんなに酷い目にあわされたか、見てごら
ん」と言っているのだ。それは無関心な親への復讐においての視覚
に訴える猛攻撃や、地下活動の企てを表しているのかもしれない―
―見せかけの穏やかさの下にある真実を、世に知らしめる方法なの
である。
《ジョージ》
22歳のジョージは、私のオフィスにイライラして用心深い様子で
入って来た。右手は数ヶ月の間、皮膚科学の最善の努力に抵抗した、
痛く赤いイボの層でおおわれていた。それらは不可解に出現し、無
情に悪化し、居すわるものと決められているようであった。
ジョージの人生の始まりは、物には不自由しないが暖かみを欠い
ていた。彼の両親は責任を持ち、義務も果たしたけれども、二人と
も働かなくてはならなかった。彼と四人の兄弟の世話は、有能だけ
れども内気な祖母に任せられた。ジョージは冷淡なしつけを恨んで
はいなかった。実のところ、彼は何についても恨みを全く感じてい
なかった。
昨年は近くに住む仲間が軍隊に入ったり、よその土地で職につい
たり、結婚したりして次々に離れていったが、それもすんなりとは
認めなかった。彼は仕事を楽しんでいたが、半年前に工場の別の部
署に一方的に移された。彼はその処遇に怒っていただろうか? 全
くそうではなかった――しかしイボはその時に出現したのだ。
治療を始めると、ジョージは子ども時代にはありふれている恐れ
から一度たりとも脱していないことがはっきりした。その恐れとは
「怒りをぶつけてしまったら、やっつけられるだろう」と言うもの
である。喪失体験は、それに値するだけの怒りを引き出すことがで
きなかった。その代わりに怒りは、ジョージ自身は苦しむだろうが
他の誰をも傷つけない内側に向けられたのである。
ジョージのイボが消滅し、怒りを表現できないのを克服するにつ
れて、ボクシングへの生き生きした興味を発展させたのは意味深い
ことであった。彼の手が合法的に殴りかかることができた時には、
皮膚はもう激怒を表現する任務を持っていなかった。
3.皮膚はコントロールしようとしている
子どもはたとえ愛情をふんだんに受け取っていても、他の欠かせ
ない欲求の一つである尊重を満たされずに苦しむことがある。私た
ちは人生の初めから、単なる両親の延長物ではなくて、独立した存
在として認められなければならない。私たち自身が個人であること
は尊重されなければならず、私たちを世界から分ける境界は認めら
れなければならない。
両親が自分たちのスケジュールに応じて愛情や配慮を与える時、
彼らはこの尊重を差し控えているのだ。典型的な例は、自分が寒い
時にセーターを子どもに押しつけて、自分の喉が渇いている時にミ
ルクの入ったコップを子どもに手わたす母親である。「お父さんが
一番よくわかっている」と言って全ての詳細を取り決め、指示する
父親も同じことをしている。子どもの自律性を尊重するのを、拒否
しているのだ。
いつも両親からごり押しされる子どもは、しばしば反撃する。不
屈の独立心を持った子どもは頑として譲らないし、他の誰かが「は
い」と言う時にはいつでも、自動的に「いいえ」と言う。彼女は自
分流にやっていくし、日常生活で莫大なエネルギーを一連の争いに
向けて費やすのだ。彼女の一級品の頑固さは命がけであり、生死に
かかわる苦闘をほのめかしている。彼女は魂が無傷でいられるよう
に、自分の境界を確保しようと戦っているのだ。
子どもとして尊重されなかった人々は、世界をひっくり返すため
に晩年を費やすことがある。コントロールされることへの恐れから、
他人をコントロールする情熱ができあがるのだろう。中には両親の
ような脅迫者になってしまう人もいる。
他の人々は、自分がしたいことを間接的に他人にさせる方法を見
つけて、磨きをかけていく。それはよく「操作的」とラベルを貼られ
る。主体的な人間として無傷であろうとする潜在的な苦闘を無視し
ているので、この軽蔑的な用語は不適切である。操作的な人々は犠
牲を強いる人々と同じくらい、悲惨な犠牲者なのだ。
周りの世界をコントロールする努力において、彼らは議論を好ん
で言葉の格闘技を用いたり、軽薄さや威嚇、罪悪感のようなもので
間接的に無理強いするかもしれない。慢性のあるいはしつこい皮膚
の荒れは、容易にこの兵器庫の一部になり得るのだ。
《ピーター》
37歳の研究者、ピーターはほとんど全てにアレルギーであった。
確かに彼の友人や家族で、それを無視できる人は誰もいなかった。
子どもたちが犬を欲しがったとしたら? ピーターは犬にアレルギ
ーがあった。田舎へのドライブは? 彼は花粉と草にアレルギーが
あった。妻は結婚記念日にフランス料理のレストランに行きたがっ
たが、残念なことに彼は調理の匂いで発疹が広がるのだ。
それにはいらいらするが、誰も本当に怒るはずがない。どう言っ
てみたところで、それはピーターの落ち度ではなかった。彼は、で
きる限りの賛成をした。「僕もそうしたいけど、アレルギーがある
から」というのが、他の人々の計画へのおきまりの答えだった。
私は面接で、ピーターの母もまたアレルギーを持っていたことを
知った。彼女は息子を愛する、もろさを抱えた女性であった。しか
し彼の自立にはほとんど向き合えないのに気づいて、きつく手綱を
引き続けていた。「コントロールするか、コントロールされるか」
は、自分の幼児期からピーターが教わったレッスンであった。
母親が彼の子ども時代を支配したように、ピーターは無意識のう
ちにアレルギーで大人の世界をコントロールしようとした。いつま
でたっても、むなしい勝利であった。ピーターは他の誰よりも、自
分のアレルギーによって完全にコントロールされていた。
治療を通じて、ピーターの皮膚のアレルギーは完全に消えた。彼
はむしろ言葉でコントロールし続けているが、ユーモアのセンスは
生活を容易なものにしている。
4.皮膚は性行為を取り締まる警察官である
乳児にとって基本的な欲求の満足は即時的であり、原始的な衝動
である――「すぐに欲しい!」。私たちは大きくなるにつれて、手
を伸ばしたりひったくったりするよりも、きちんと要求して満足を
先延ばしにすることを学ぶ。衝動を調整したり延期する能力は、ヒ
トを下等動物と区別する一つの特徴である。
しかしながら、レッスンをよく学び過ぎる可能性もある。今すぐ
の満足をつかむことを抑制する、内なる警察官(フロイトが「超自
我」と呼んだもの)は、正当な欲求と欲望の満足を完全に禁じるほ
ど強くもなるのだ。
両親が示すお手本や態度によって、欲求を持つこと自体(特に身
体的な欲求)が悪いと教えられることもある。欲求は立ち去らない。
しつけがどんなに抑圧的であっても、愛情、尊重、および保護を求
めて、私たちの内なる何かが、闇雲に苦闘するのだ。その結果とし
て内的な欲求と外的な現実、そして「警察官」の道徳心の間には行
き詰まった葛藤が生じやすい。よくあるパターンでは、判断に迷っ
たり不安になったりして、欲しいものを得たくても身動きができな
くなってしまう。
葛藤はまた、体を舞台にして最後まで演じられるかもしれない。
そこでは皮膚が、「犯罪者」である心に対して警察官を演じている。
しばしば皮膚が取り締まるのは、性的な願望である。心が「今すぐ
にしたい」と言えば、皮膚は「求めるのは悪いことだ。お前は欲深
くて、セックスに夢中になっている」と言うのである。性的に成熟
したことは、自分自身への感情や自律性、他者との関係性とごちゃ
混ぜにされるので、まず第一に葛藤の標的になるのだ。
皮膚は、そのような葛藤を解決するのによく適している。人目に
つくような皮膚の荒れは、「セックスから抜け出せる」と標識が出
ている効果的な抜け道なのである。ブツが吹き出したり荒れてしま
った皮膚は、デートや性的な関係が引き起こす、脅威と不安に対す
る保護的なバリアになり得るのだ。
《デレク》
明るく、きびきびした若い弁護士のデレクは、何事に対しても全
面的に気持を入れ込むことへの深い恐怖があった。それは、愛情が
剥奪された子ども時代の遺産だった。彼は冷静で、クールな姿勢を
取り続けていた。一緒に暮らしていた恋人との関係は、最大限に見
積もっても「わずかに関与している」程度であった。彼を私のオフ
ィスに連れて来たのは、陰部ヘルペスのしつこい再発であった。
明瞭なパターンを発見するのに、探偵の仕事は手間取らなかった。
彼か恋人のどちらかが町を離れていた時には、病気はいつも悪くな
っていた。彼はすぐにつかの間のセックスの相手を捜す誘惑に抵抗
するのを、ウイルスに無意識に頼んできたことを把握した。彼が自
分でこれらの性的な決定をする用意ができてしまったら、再発はほ
ぼ完全に終わった。
5.皮膚は歴史を書き直そうとしている
しつこい、あるいは新しい皮膚の荒れは、時として数十年前の戦
いに敗れた余韻である。それは全力を尽くしても子どもが必要とす
る愛情、保護、そして尊重を与えることができなかった両親と過ご
した子ども時代の、永遠の遺産なのである。
発育の主要な章が結果的に悪しきものである時には、同じ物語を
ハッピーエンドで再演しようとして、歴史を書き直そうとする強烈
な本能的欲求が生じる。それは例えば、冷たくよそよそしい両親が、
愛情豊かに子どもの心の成長を支えられなかった場合かもしれない。
不合理に聞こえるだろうが、何とそれは必要なものを得るために絶
え間なく奮闘する、不屈の生命力を反映しているのだ。それは太陽
を求めて舗装の下から草の葉が顔を出すのと、同じ力である。
《オスカー》
コンピュータ・プログラマーのオスカーが、20代後半に止むこと
のない一連の蕁麻疹の噴出に囚われていたのは、誰の目からも明ら
かな経過であった。オスカーの母親は、彼が幼い子どもの時には暖
かく十分に愛した。しかし6歳の小さな男の子から、自分の手を離
れた小さな男になっていった時に、あっさりと愛情を引き上げてし
まったのだ。理由が何であれ、彼女はよちよち歩きの幼児にしてい
たと同じようには、成長した子どもに愛情深くはなれなかった。オ
スカーに最初の発疹があったのが、その時であった。
大人になってから、オスカーは反復性のパターンにはまった。彼
はいつでも、つきあって始めのうちは優しく支持的であるが、彼が
自信をもって自律的に行動を始めると、急に冷めてしまうガールフ
レンドを選んだ。それからすぐに、別の蕁麻疹の発作が起きたもの
だった。それはまるでオスカーが物語を再演できるように、彼の最
初の失敗の舞台をもう一度セットしなくてはいけないかのようだっ
た。今度こそは愛情も冷めず、欲求不満もなく、と。もちろんお決
まりの不幸な結末は、オスカーの選択によって確実にされた。それ
が彼の母親と似ており、かつて母親がしたようにふるまった若い女
性たちである。
オスカーの皮膚は、私との短期の治療の後にかなり落ち着いた。
別のセラピストとの長期的な治療で、彼は人間関係の難題を解決す
る進歩を続けている。
6.皮膚は愛を求めて苦しんでいる
あなたがすいすいと泳いでいる時には、誰もあなたを救助しない
だろう。もし子どもが自分が苦しんでいる時にだけ愛情と保護、支
援を与えられると学んだら、痛みは必要なものを手に入れるための
切符であると無意識に結論づけるだろう。このような流れのもっと
暗いケースが、情緒的に、または身体的に虐待された子どもの心の
中で起こる。彼女は自分を愛している人が自分を傷つける人である
ことを学び、愛情と痛みは避けようもなく結びつくものと予想する
ようになる。
愛情と痛みを一対にしてしまうと、晩年に際限のない困難を起こ
す。負け犬が板についたり、事故に遭いやすかったり、成功を恐れ
る人々は、その犠牲者の中にいる。痛みと虐待のさなかに愛情が見
出されるような人生早期のレッスンは、潜在的なマゾヒズムの物語
である。
慢性的な皮膚の荒れは、誰かに支えてもらう資格を得るために、
十分な苦しみを犠牲者に起こすのだ。愛情と傷つきがペアにされた
時には、皮膚は徹底的に人を打ちのめすことができる。
《ローナ》
ローナは皮膚科医にとって、正真正銘の謎だった。彼女の胸、腹、
および足の深い傷は、これまで診てきたどの病気にも全く似ていな
かった。彼女は傷を作るような刺激物との接触も、全く心当たりが
なかった。
ローナの子ども時代について話し合うと、違う種類の傷跡が明ら
かにされた。両親は彼女の健康な成長と発育を、侮辱とみなしてい
るようであった。それは彼らが虐待する傾向を、最悪のものにした。
彼女が混乱して不幸な時に、または身体的な病気の時にだけ、彼ら
はやっと最低限の世話と支援を思いつくのだった。
「痛みは助けをもたらす」ということが、成長する間にローナが
学んだレッスンであった。強烈なストレスに見舞われた間に、それ
は結婚の破綻であったが、彼女は知っていた唯一の方法で助けを求
めた。ローナがついに白状したところによると、ヘアピンで身体に
傷をつけて、自分自身で皮膚に傷をつけていたのだ。
ローナは遠い目標に向かって、まだ心理療法を受けている。しか
し治療に深く関与しているので、成功する見込みは十分あるように
思われる。
7.皮膚は忠実である
私たちの人格は、普通はモザイクのように発展する。影響力のあ
る人物を真似た大小のかけらで、私たちはスタイル、身ぶり、態度
の収納庫を築いて、自分自身に組み込むべく準備しているのだ。こ
れは私たちが愛し、賞賛している人たちとつながりを作る健康的な
方法である。私たちの母や父は、声の調子や言葉遣いに取り込まれ
て、私たちの生涯にわたって生き続けるかもしれない。
私たちはしばしば、他の方法で親に忠実であり続ける。親が私た
ちをどう見ていたかを受けて、彼らの目に映っていた自分でいよう
と努力するのだ。これははっきりした道筋をたどる。親が私たちを
好ましく思った時には、結果として自尊心と達成感をもたらすのだ。
しかしもし親が私たちをあからさまに醜く見れば、その観念と自分
を同一視して、服装や行動がその通りになるよう、否定的な見方に
忠実であり続けることも可能である。見た目を損なう皮膚の荒れは、
すぐにこの作戦の兵士になれるのだ。
同じように、親の特徴と自分を同一視しようとする正常で健康的
な過程は、困難をも引き起こすことがある。親と気持が通じなかっ
たり、親が姿を消してしまえば、この同一視の過程はすさまじい、
頑固なものになるかもしれない。愛されていると感じる唯一の方法
は、自分の親そのものに「なる」ことである。
子どもは同一視する時には鋭く察して、自分の親にとって本当に
大事なことを標的にする。もしパパがヤンキースのファンなら、そ
のチームにぞっこんになるのは、好意的に注目されるのに良い方法
だろう。同じように、もしパパが蕁麻疹の治療に大いに時間と労力
を注いでいるなら、蕁麻疹は親密さへの鍵であるとのメッセージが
容易に伝えられるのだ。
何組かの家族が一緒にピクニックに行けば、傷んだ皮膚の手当を
することで皆が親密になるのは、間違いない。ある種の皮膚の荒れ
は、遺伝的な構成要素を持っているし、乾癬はその一つである。偽
遺伝は、この生物学的な要因を誇張――素因を確信に変える程度で
あるが――できるのだ。「なさぬ仲」の育ての親から病気を受け継
いだ場合は、偽遺伝の「偽」が明らかである。フランケルとミシュ
は、この問題のある男性を首尾よく治療した。
《フランク》
37歳のフランクは寂しく、孤立した男であった。彼は絶望的に内
気であり、ここ15年間はひどい乾癬に苦しんで来て、他人と関係を
持つ社会的な能力や感情は良い方に向いていなかった。
フランクが大学を卒業してまもなく、その障害はひどくなってい
った。彼はその時期について、これまで自分を支えてくれて父親の
ように優しかった唯一の人である、聖歌隊の指揮者と別れることに
なったので、特につらかったことを思い出した。フランクがこの人
もまた乾癬にかかっていたことを思い出したのは、治療が始まって
間もない頃であった。
病気をひどくすることによって(彼に遺伝負因があったのは疑い
ない)、フランクはこの哀れみ深い人物との親密で慰めに満ちたつ
ながりを維持したのだ。それは、他人と打ち解けて交流することへ
のリスクと不安から免れさせてくれた。
8.皮膚は記憶している
私たちは通常は言葉やイメージ、音、そして匂いを、意識が引き
出せる形のまま脳の一部に記録して、何が私たちに起きたのか、単
に「憶えて」いる。しかしそれがあまりにショックが大きかったり
圧倒的であったりして、その人の価値観や感覚にそぐわない場合に
は、そのメカニズムが扱える限度をすぐに越えてしまうのだ。過度
の情緒的な負荷から保護される必要にかられると、私たちはそれを
否認して意識の下に隠そうとする。
極端な例は記憶喪失である。誰かが恐怖と苦痛に満ちた危機に猛
攻撃―例えば友人の変死―された時には、精神的なブレーカーが落
ちて、その場面の全ての記憶が意識から消えるかもしれない。私た
ちはそれよりは外傷的でない経験も、選択的に忘れる(繰り返され
た体験のパターンを含む)。これは生涯にわたって起こるのだが、
まだ言葉で記憶されるには早過ぎた出来事には特に起こりやすいと
思われる。
それでも、記憶(とりわけ、それに属している辛い感情)は立ち
去らない。それは表面に出る道を執念深く見いだす。このようにし
て、多くの神経症的な行動が始まる。ある男性は母親が利己的で脅
えた女性だったという不愉快な記憶に直面するよりは、つきあった
女性たちが同じやり方で彼を扱ってきたことを発見し、母親の真実
を行動の中で思い起こすかもしれない。ここには辛い歴史をハッピ
ーエンドに書き直そううとする、別の試みがあるのだ。
記憶は、姿勢と動作からうかがえる場合もある。ある人の呼吸法
は、幼い時に「息苦しかった」事実を、カプセルに包み込むことが
できる。心身症の症状は、直接に向き合うのが情緒的にあまりにも
困難な出来事やパターンへの、象徴的な記念碑かもしれない。
《ビック》
皮膚科医のマイケルJ.スコットは、著書「皮膚病とアレルギー
疾患における催眠」(Hypnosis in Skin and Allergic Diseases)
において、不可解にも旅客機である峡谷の上を通るたびに、額にヘ
ルペスの水疱を出したベテランのパイロットについて述べている。
彼は催眠療法(催眠のトランスに導かれる心理療法)で、峡谷が
彼にとって特別な意味を持っていることを思い出した。そこでは同
僚で友人だったパイロットが、墜落して亡くなっていたのだ。病気
で家に居なければ、彼自身がフライトしていたはずだった。そのパ
イロットが友人の死で感じていた、埋れていた悲しみと罪責感を味
わうように自分に許していったら、ヘルペスの発生は消えた。
9.皮膚は禁じられた真実を語っている
赤面はよく無垢な純潔と結びつけられるが、私たちはしょっちゅ
うしているものである。お決まりの赤面は、若い女性が「うぶでわ
からないはず」の、きわどい冷やかしや冗談を耳にした時に起きる。
彼女はそれをわかるからこそ、顔を赤らめるのだ。彼女は周りから
思われているよりもいっぱい知っていて、顔への血流の突進がそれ
をばらしてしまう。
かすかなヒントと徴候によって、多くの親は子どもたちに命じる。
ありのままでいないように、感じるままに感じないようにと。愛情
と尊重への欲求は、その執行人である。私たちは情緒的な飢餓への
脅威に対して、身を隠すか向き合うかしているのだ。もし自分を偽
造する術が板につけば、私たちは真実を自分自身から、そしてその
他一切から隠すことを学ぶ。自己イメージに合わない感情や思考は、
消えてゆく。両親から真実を隠すことを学んだように、私たちはも
っと怒っているとか、貧しくなったとか、性的に興奮しているなど
と感じてゆくよりは、自分に感じさせないようにするのだ。
くり返すが、情緒に属することは、抑制はされてもただ干あがっ
たり、消し飛んだりはしないものだ。私たちが否認する真実は、し
ばしば語るために自分で身体を通って表面に上ってくる。
皮膚は身体の最も大きくて見えやすい器官なので、真実を語るた
めに指名されるのは自然なことである。それは私たちが顔を赤らめ
る時のことを思えば、明らかだ。「すべてが素晴らしい」という基
本方針のもとに訓練された人は、荒れ果てた顔にのみ内面の混乱を
示すのだろう。時にはサラの場合のように、皮膚は象徴的な言葉遣
いで、その禁じられた真実を口にするのだ。
《サラ》
30歳のサラは長男を難産した後まもなく、最初の「神経性皮膚炎」
に見舞われた。その子は腹痛で昼も夜もひっきりなしに泣いたが、
会計士の夫は全く何もしなかった。彼の反応は、自分の家庭には何
の騒動もないふりをして引っ込んでいることだった。
サラは夫の消極性を打ち破ったり、必要としていた支えを彼から
引き出せなかった。その上良き妻、良き母であり続けるとの誓約が、
彼女をその状況に閉じ込めていた。彼女の発疹は、左手の中指から
小指にかけて広がって行った。それは段々にひどくなって、結婚指
輪を切り離す必要にせまられた。それはタブーの象徴的な実現であ
ったが、妻と母の座から逃れたいとの心からの願望でもあった。サ
ラが皮膚炎の情緒的な論理ひとつを理解するのに数年かかったが、
それはついに彼女が気力と気づきを蓄えて不満足な結婚を終えた時
だった。
10.皮膚は時間を止めようとする
ある患者が、初孫を身ごもったという知らせを自分の母親がどん
な風に受け取ったか演じてみせた。「何てことをしてくれたの?
あなたは私をおばあちゃんに、年寄りにしているのよ」 そのみっ
ともない嘆きは、家族の心を打つだろうか? 私たちは時間をかけ
て夢を実現するが、時間が過ぎていく中で喪失にも苦しむのである。
大きくなって、年を取って、死んでいくように。
時間の喪失は早い時期から始まっている。大きくなった子どもは、
幼い頃に受けていた親密な養育を失うのである。青年期は自立と、
ぞっとするような責任をもたらす。
時間が過ぎ去る恐怖は、いくぶん元気を凍りつかせて麻痺させる。
大きなトラウマは、解決するのに時間がかかるように、体内時計を
停止させるかもしれない。人生のうちで欲求が満たされていなかっ
た時期については、私たちは決算するのにためらいを感じる。忘れ
られない負債が残っている時代については、情緒的な帳簿の合計を
出さないようにするものだ。
親というものはかわいいちびっ子が成長してゆくと、落胆してし
まうものだ。もし彼らがその落胆を言葉巧みに表現するならば、子
どもは無意識のうちに「いつまでも幼い」ままでいて、期待に応え
るであろう。
「お前は本物の大人の世界に入っていけないだろう」と教えられ
た子どもは、恐怖のために身動きできなくなるだろう。彼は心の底
では、月並みで地位の低い仕事こそがお似合いだと感じているため
に、昇進をぶち壊しにするかもしれない。両親への誇張された忠誠
のために、彼は一人前になって年を取っていくことを無意識に拒絶
するだろう。
そういった人々には、しばしば奇妙で矛盾した若々しさがある。
彼らは身分相応の服装をしているのに、ひどく少女っぽく見えたり、
少年ぽく見えるのだ。戦い続けるしんがり軍への皮膚の関与は、青
年期を過ぎた人たちのニキビ面に端的に現れるが、その「10代の」
皮膚は彼らがまだ青年期の葛藤につながれていることを示している。
《ステラ》
22歳のステラは手指のつめの下のイボで注意散漫になり、歯科衛
生士の仕事を辞めることを余儀なくされた。したがって彼女は初め
てアパートを借りる代わりに、両親の家に留まって、通りの向こう
で事務員として働くことになった。
これはステラの人生で、唯一の応急処置ではなかった。彼女は異
性関係でも、不運続きのようであった。どの男性も初めは思いやっ
て世話をしてくれるが、すぐにののしって屈辱を与えるのだった。
「私はまだ、高校生のようにしていなくちゃいけない」とステラ
は嘆いた。当惑させられるのは、それだけではなかった。家に居る
ことは、言い争う両親の調停役をいつも務める母親の召使という、
青年期の役割に逆戻りすることを意味していた。
ステラは治療の中で、実際は彼女と両親の願望を満たすように皮
膚が介入していたことにすぐに気がついた。――彼女には成熟した
関係を持つように試みることを、両親には末っ子が巣立つのを眺め
る心痛を、それぞれ免れさせるために時計の針を止めていたのだっ
た。この気づきと催眠療法によって、イボはすぐに消滅した。
11.皮膚は世間にあなたが完璧ではないと言っている
親の瞳の輝きは、子どもの合理的自尊心――自分の価値に対する
しっかりした健康的な感覚――の原料である。しかし親によっては、
簡単に自尊心のようなものを獲得できないために、合理的自尊心を
育むことができないのだ。彼らの子どもは成長すると抑うつ的にな
り、自分に我慢がならなくなる。自分の長所や強さを、実感するこ
とができない。
子どもの成果をほめすぎる親は、合理的自尊心を促進するように
見えるかもしれないが、親自身のか弱い自我を持ち上げるためにそ
のような成果が要求される時は逆の結果をもたらす。しみ一つない
爪とオール5の通信簿で完璧な娘であるとか、文武両道に非の打ち
所のない息子であると強調するのは、子どもの真実を否定している
のだ。彼らが完璧でないなら、自分をゴミのように感じて育つだろ
う――しかしながら完璧な人間などいないのである。
健康な自尊心を発達させられない子どもは、大人になっても両親
が育てようとして失敗した人物を装うであろう。いかに自分の仕事
が重要であるか、子どもが優秀であるか、家と車が素晴らしいかを
まくしたてる、うんざりするような人物がいるものだ。その振る舞
いは張り子の虎のようなもので、本当の自尊心の風刺画になってい
る。
これらの人々はまた、注意深く作り上げてきたイメージだけでは
なく、自分にはもっと色々あることをかすかにコミュニケイトした
い欲求を持っている。彼らの皮膚は、メッセージを運ぶように頼ま
れるかもしれない。
《ランス》
23歳の時に、彼はニューヨークでも売れっ子のモデルだった。し
かしながら彼のほとんど完壁な顔は、意地悪なことに桧舞台の直前
に吹き出たニキビで台無しにされた。
ランスは男兄弟の末っ子であった。彼らはそれぞれ、抑うつ的な
アルコール症の父親に置いていかれた母親から、気持の隙間を満た
すように押しつけられてきた。誰もが失敗してきた。勇敢にもラン
スが彼女のチャンピオンになろうとして、高校ではスポーツに優秀
でいかにもそのように見えさえした。しかし肩の重荷に一番弱いニ
キビが、くり返し表面に出てきたのだった。
母親は彼に成功するように励ます一方で、絶えず沈黙のうちに小
言を浴びせてきた。「離婚して貧しい母さんがみじめでいる時に、
あなたはよくそんなにも若くて幸せで成功できるものね」ランスの
ニキビは、免責を求めて叫んでいたのだ。「僕にしたって、完璧じ
ゃないよ。つらいんだ」
私はランスがボストンから招聘先のヨーロッパに向かう途中で、
ほんのしばらく会っただけである。数ヶ月後に届いた葉書では、私
が教えたテクニックで良い結果を得ているとの報告があった。
私たちはみな、複雑に入り組んだ情緒的な欲求をごちゃまぜに抱
えている。皮膚の荒れが一つのパターンや解決法で軽くなり得ると
いうのは、性格が一つの特色しかない人と同じくらいの絵物語であ
る。現実の人が耐えている現実の発疹は、これらのパターンのいく
つかを含んでいるのだろう。
あなた自身の症状について考える時に、最も適切に見える一つ二
つの作業を選び出すのは理にかなっているが、教わることが何もな
くても一つとして忘れ去らないで欲しい。
これらのパターンが、決して成長や感情を隔離していかないよう
に、ほとんどの皮膚の荒れは一人の人間の疾病としてよりも、関係
性の問題として理解されるのが一番良いのである。例えば幼児湿疹
は、一般に赤ん坊と母親の間の困難を意味している。成人期に入れ
ば、ただの配偶者から母親に役割が変わってくるのだ。
皮膚疾患は、あなたと外界との境界における危機を意味している。
潜在的な課題を解決するには、あなたがそれらとどう関わるのか、
変化が必要なのかもしれない。しかしながらまず第一に、あなたは
皮膚の下にある自分自身を、ありのままに理解するのを学ばなくて
はならない。
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